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北の都にかつてあった、ある女子寮の記録と思い出

56 おいしくない寮食のこと

 わたしは入学と同時に女子寮に入寮した(2000年代半ばとしておこう)。食堂という場所はあり、その奥にそれなりの規模の厨房があったが、その時にはすでに寮の食堂というものは機能していなかった。元は炊夫さんがいたようだが、入寮当時から市内の給食業者にお弁当を注文するシステムになっていた。

 注文ができるのは1日のうち夕食のみであり、毎月決まった日までに、各寮生は来月分の注文を注文用紙に記入し、それを炊事委員がまとめて業者に送るというシステムだったと思う。当時はご飯とおかずのセットで390円だった。1つメニュー表が備え付けられており、カレーなど人気のメニューの日だけはいやに注文食数が多かった記憶がある。

 給食業者は、毎日昼すぎごろに弁当の入ったコンテナと味噌汁の鍋を厨房の冷蔵庫に入れていった。夕方以降に寮生が帰寮し、食事時になると、冷蔵庫から自分の分を三々五々取り出し、備品のレンジでチンして食べていた。味噌汁は小さなアルミの、給食用みたいな鍋に入っており、最初に喫食する者が、食堂片隅にあるコンロで加熱しておくのがルールとなっていた(その後、さらに喫食数が減ると、味噌汁も鍋での提供がなくなり、一人分ずつケースに入ったのが温蔵庫に入れられているという方式に変わった)。

 ちなみに、この弁当は回収容器に入っており、回収がおぼつかなくなることから、食堂以外の場所で喫食することは禁止されていた。

(このあたりのシステムについての詳細は、いずれ別に立項する予定)

 

 入寮直後で生活がバタついていた時こそ、新入生たちは皆この寮食を注文し仲良く食堂で食べていたが、新歓も落ち着き、サークルや勉強で忙しくなるにつれ、自炊したり大学の食堂で済ませてしまったりするようになり(弁当自体がそれほどおいしくなかったということもある)、夏ごろには私も含めたほんの数人しか、恒常的に注文する者はいなくなっていた。

 色々なメニューがあったが、忘れがたく、お気に入りだったのはカレーであった。ルーが1人分ずつ、いつから使っているのか不明なほどレトロなイラストの付いた赤いタッパーに入っており、温蔵庫の中でわたしを待っていた。業者が一緒に持ってきてくれる、昔風で薄っぺらいアルミ製のスプーンも、レトロ可愛いタッパーも、なぜか無性に私の胸をキュッとさせるアイテムだった。

 その寮食であるが、毎日12:30を超えると、本来の注文主の所有を離れ、他の者が自由に食べていいという不文律があった。このため、日ごろから食費でピーピーしているやつらは、12時半近くなるとゾロゾロと食堂に集まってきて、時計の時刻が30分を指すやいなや冷蔵庫の中を漁って、弁当の中身だけを持参した自前のタッパーに移し替えて持ち去っていった。この行為を、寮用語では「ハイエナする」と言ったものだった。